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(礼文島)情けない自分を変えたかった。北海道最北端の島で見つけた居場所。 【another life. 国境離島の暮らしCH】

北海道の礼文島にて、漁師として生きる古賀さん。福岡で生まれた大工の息子が、なぜ日本最北端の有人離島で、漁師になったのでしょうか。お話を伺いました。

ネオン街に憧れる

福岡県久留米市の田舎町で生まれました。長男で妹と弟がいます。小さい頃はやんちゃな性格でした。少なくとも真面目ではないですね。ラジコンやらローラースケートをやったり、テレビゲームをして過ごしていました。

父が大工をしていたので、家は作業現場。中学生になる頃には釘打ちや工具運びなどを手伝うようになりました。自分でも何かを作るのが楽しかったですね。将来は父の仕事を継ぐと考え、工業高校の建築科に進みました。家庭教師についてもらったおかげで、自分の学力では受からないようなところに合格することができたんです。

ところが、学校には遅刻してばかりでした。勉強は嫌いじゃないんですけど、朝起きられないんです。中学時代の家庭教師が起こしに来てくれたりもしたんですが、ダメ。どうせ父の会社で働けばいいと思っていたので、2年で中退しました。

それからしばらくは、父の元で仕事をしました。職業訓練校にも通い、二級建築士を目指しました。ところが、18歳の時にくだらないことで父と喧嘩して、家を飛び出してしまったんです。

それからは久留米の市街地に出て、飲食店などで働きました。数年間久留米で過ごした後は、ネオン街に惹かれて博多まで出ました。電気屋で働きながら、都会的な暮らしをしていましたね。将来のことなど何も考えず、その時に心地良いと思うことをやっていました。

アルバイトで北海道最北端の島に

20代はなんとなく過ごしていたんですが、30代中盤に差し掛かり、さすがにそのままではダメだと思い始めました。35歳を過ぎたら転職は厳しいと聞きます。それまでにちゃんと身を固めようと思いました。

それで、一度自分の中で区切りをつけるために、バイクで北海道を回ってみることにしました。北海道に知り合いがいたので、せっかくだから行ってみたいと思ったんです。旅を終えたら、気持ちを入れ替えてどこかでしっかりと働こうと考えていました。

北海道ではいろんなところに行ったんですけど、特に帯広の然別湖は印象に残りました。水面がエメラルドグリーンに輝いていて、バイクに積んでいたシーカヤックで泳ぐのは最高でした。天然で泳げる場所がたくさんある北海道は最高でしたね。

ただ、旅をしている最中にお金がつきそうになってしまいました。何かアルバイトがないか探してみると、礼文島という北海道最北端の離島で、昆布干しのアルバイトが見つかりました。体験してみたいと思い、すぐに礼文島に移動しました。

利尻昆布という、高級昆布を干す作業を手伝うのですが、思った以上に大変でしたね。まず、朝が早い。1時半くらいは起きるんです。失敗したかなと思ったんですけど、仕事なので、早起きもなんとかなりました。

7月一杯は干す作業が忙しいのですが、8月は昆布の形を整える赤葉取りくらいなので、だいぶ落ち着きます。時間がある日は、海を眺めているのが最高でした。凪の日は、水面がキラキラしているんですよね。それまで潮風ってベタベタして嫌いだったんですけど、礼文に来て初めて気持ちいいと思えました。取れたてのウニやワカメ、ほっけなど何でも美味しくて、最高の場所だと思いました。

自分の居場所がほしい

自由に旅をして、行く先々でアルバイトをして生きていく。そんな生活が実現できたことで自分に自信がつきました。それがかっこいい生き方だと思ったので、しばらく続けることにしました。礼文島という日本最北端の島に行ったので、今度は最南端にも行ってみようと思い、沖縄の波照間島に行きました。

それから、冬は波照間島でサトウキビ刈りをして、夏は北海道を旅するという生活を続けました。たまに地元に帰った時は、みんなに珍しがられて、ますます気持ち良くなっていました。

ところが、3シーズンほど経った時に、むしろ虚しさを感じてしまいました。友達が子育てをしたり、家庭を守るために必死になっている話を聞いて、それこそが本当の幸せなんじゃないかと思ったんです。ちょうど父が亡くなり、実家の大工を畳んだ時期とも重なり、弟や妹が住んでいる実家には帰れないと気づいた影響もありました。

旅をしていろんなところには行ってるけど、自分には居場所がないと気づいたんです。一つの場所に根ざして、生活基盤を作るって大事だな。今まで、いろんな景色を見て、いろんな食べ物を食べて、いろんな体験をしたけど、もっと深いところを見てみたい。それには生活をするしかない。そういう気持ちもありました。

それで、北海道に住んで、林業をやることに決めました。沖縄も好きだったんですが、南の島はのんびりとしたバカンスのような雰囲気は、ちょっと違うかなと思って。北の方が、ゼロから始めるというか、チャレンジする感覚があるなと思ったんです。

礼文島の漁師になる選択

林業に必要な資格を取り、そろそろ就職先を探そうかと思った時に、礼文島で新規漁業就業者を募集しているのを、インターネットを通じて知りました。

それを見た瞬間、あの綺麗な景色に囲まれて暮らすのはいいなと思ったんです。しかも、募集内容が、誰かのの船に乗るスタッフではなくて、一本立ちできる根付漁業者だったことにも惹かれました。周りの友達は独立している人が多くて、情けない自分が周りに一気に追いつくには、この仕事しかないと感じました。

それで、迷うことなく礼文島に移住して、漁師になることに決めたんです。驚いたことに、修行をさせてもらう先は、以前アルバイトでお世話になった親方でした。漁業就業支援の制度を利用したので、数年間は生活の援助があります。船や漁具を揃える必要があるので、助かりましたね。

根付漁業者として、ウニやアワビ、ナマコ漁をやりました。漁に出ない時は、昆布干しも手伝います。親方に弟子入りしているとは言え、最初はどこに生息しているか分からなくて苦労しましたね。それでも、2年もするとだいぶコツを掴めて、漁師として食べていける感覚は持てました。

地に足をつけて生きる

現在、夏のシーズンは自分の船で根付漁に出ています。また、親方の船に乗り、ホッケ漁も手伝っています。刺し網漁で、大漁の時はやっぱり面白いですね。10月以降は、漁の仕事はほとんどなくなってしまうので、別の仕事をして1年間の生活を成り立たせています。

移住したことで、地に足付いている感覚はあります。やっと落ち着きました。立派な家を建てることもできましたし、地元のイベントなどに参加もして、地域の人との繋がりを感じます。やっぱり、何かあった時に助けてくれるのは地元の人なので、安心感はあります。ひとつ何か始めると地元の人との関わりは深くなって、今は消防団、神社部、水難部、青年部と色々やっています。

この島の人同士の距離の近さというか、温かさはいいものだと思います。知り合いがふらっと酒瓶を持って遊びに来てくれたり、ノックもせずに家に入ってきたり。寝ているときに入ってこられるとさすがに驚きますが、この島の生活に慣れてきた自分がいます。

離島ですけど、暮らしづらいとは思わないですね。必要なものは、大抵通販で買えるので。急に船が壊れた時などパーツが手に入らないので苦労しますが、ないならないなりに考えるしかないですし、それが楽しかったりもします。

僕にとっては、礼文島がこれからずっと住み続けていく居場所。ただ、昆布漁にしてもウニ漁にしても人手が必要で、親戚が島にいない自分ではちょっと難しいこともあります。外からアルバイトの人を雇ったり、なんとかなるとは思っていますが、まずは結婚して家族を持ちたいですね。

この年にして、やっと母を安心させられたかなとは思います。自分が取ったウニや昆布を嬉しそうに近所に配っていたと聞いて、少しは親孝行できたかなと思います。来年くらいには、自分が稼いだお金で、母や弟と妹の家族を礼文島に呼びたいと考えています。

やっと見つけた自分の居場所。これからも礼文島の漁師として、しっかりやっていきたいと思います。

 

古賀靖信/根付漁師

礼文島の根付漁師として、ウニや昆布漁を行う。

 

この記事は「another life. 国境離島の暮らしCH」より転載しています。

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